■会長あいさつ

 8月28日開催の山口日米協会設立記念式典の折りにおこなわれた林芳正会長の記念講演の要約をお届けいたします。

アメリカとの出会い 私は学生時代に合唱部にいましたので、タバコはやりませんでした。ところが商社に入りまして、タバコの葉の買い付けでアメリカのノースカロライナ州に2ヶ月程度の長期滞在を何度かしていました。サザンホスピタリティーというかアメリカの温かさにどっぷりつかっていました。南部なまりの英語には悩まされましたが、もともと英語は好きでしたし、中学時代によく聴いていたビートルズが英語にはずいぶん役立ったと思います。その後、会社をやめてボストンに留学しましたら、「あなたの英語は南部なまりだ」と言われて驚いた記憶があります。今でも一杯やりますと南部なまりがでることがあります。

政治を目指す 政治を目指すからには最も大事な日米関係について学ぶ機会を持ちたいと思い訪米しました。1991年にアメリカの政治家のもとで1年間のインターンを経験することができました。それに先立つ半年間の留学時代にWorking with the legislature というプログラムで、マサチュセッツ州の議会の模擬実験を60人の学生が代議士、新聞記者、ロビイストそれぞれの役に分かれて「ガソリン税の増税案」という課題を6週間かけてやる。記者やロビイスト役の学生から私の寮に取材などの電話がかかってくるという、今思えば楽しい授業でした。また、ノースカロライナ州選出のニール下院議員のスタッフとして金融政策をやる小委員会などにも参加しましたが、当時はまだ半分くらいチンプンカンプンでした。しかし、こうした経験が後に政治の世界に入って非常に役に立ったと思います。その後のデラウエア州選出のロス上院議員の事務所では、最終的に法律になるようなことをして欲しいと言われたので、3つばかり案を出しました。それは、
1.アメリカには既にUSTRや商務省がありますが、より戦略的なアメリカ版の通産省を作ってはどうか、2.輸出を増やすためにアメリカ版総合商社の設立を促進する法律を作ってはどうか、3.アメリカ政府に勤める人に日本にきてもらって仕事をやる、というものでした。この3つ目が以下で述べるように大きく展開していきました。

アメリカの官僚を日本によぶという制度 当時はジャパン・バッシングの時代で、日本が分かりにくい、中でも霞ヶ関が分かりにくいという批判がありました。日本からはアメリカに沢山留学していて、アメリカのことは良く分かっているが、アメリカから見ると日本のことは分かりづらい。そこで、日本の官僚機構に入ってもらうという「マンスフイールド・フェローシップ・プログラム」という法案のドラフトを作りました。1年間アメリカで日本語を学んで、2年目に日本にくるというアイデアです。アメリカには過去の法案が"データベース"化されているので、効率的に作れる。結局92年の5月に上院に提出されて、94年に成立しました。例えば、財務省の人はカウンターパートの財務省にくるということで、各省庁から5人くらいが派遣されてきて実質的な仕事をやってもらうという仕組みで、すでに10数年継続され、経験者が100人近くになっています。厚生労働省ではアメリカ人が来るというので業務をマニュアル化してみようということで随分効率化が進んだという効果もありましたし、アメリカ側で日本の国会や霞ヶ関で何か不透明なことをやっているんじゃないかと言う人もいなくなりました。
こういう発想のもとになったのは、やはり三井物産時代にノースカロライナ州のお客さんの所に最初2ヶ月くらい置いてもらったという個人的な体験が役にたったと思います。いま、人事院が中心になって、日本からアメリカに派遣しようという逆マンスフィールド・プログラムとでもいうものが計画されています。
最近は、はなはだ残念なことですが、全体的に海外への留学生が減少しています。先日、ハーバードの学長から聞いた話ですが、3年前にハーバードへの日本人留学生がゼロになったそうです。また、物産時代のかつての同僚に聞いた話ですが、物産に内定した学生に「入社したらどこの国に行きたいのか」と聞いたら「外国には行きたくない、物産は大きくて安定しているから来た」と言われて目を白黒させたというわけですが、もっと目を外に開いていく必要があると思います。

今後の日米関係 最後に今後の日米関係について触れたいと思います。今年は日米安保50周年です。戦後の日本はサンフランシスコ講和条約で日本が独立した時に、アメリカは日本の安全を保障し日本はそのための基地を提供する。そして日本は経済復興に全力を傾注するということで非常にうまくやってきました。朝鮮戦争、ベトナム戦争などアジアでもいろいろな戦争がありましたが、日本は巻き込まれずにやってこれた。現在は北朝鮮の問題あるいは中国と台湾の関係もあります。安全保障というのは最悪のシナリオを想定しておかなければならない。地図を見ると分かりやすいのですが、沖縄というのは台湾と朝鮮半島のちょうど間にあるということで、やはり近い所に基地を持つというのは必要です。ミサイルが発達しているから必要ないじゃないかという人がいますが、有事の場合はミサイル戦闘が始まる前に海兵隊がいち早く駆けつけてシビリアン(一般市民)の救護に当たらなければならないという役目があるので、地理的に近い所にいなければなりません。
先日、マイヤーズさんという在日米軍のトップが「日米関係の酸素を普天間の問題が全部吸ってしまって他のいろんなことをやれない」という意味のことを言っていました。
50周年を迎えて、未来の日米関係に向かってやるべきことは多いということを申し上げて私のお話のしめくくりとさせていただきます。 ( 文責:事務局)